撮影:PENTAX K100D + PENTAX FA 35mm F2 AL
昨年、私の父は90才でなくなりました。
彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。
彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。
戦後生まれの子供の私は、父が朝食前に長く深い祈りを
仏壇の前で捧げているのをよく目にしました。
ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ、
父は戦争で死んだ人々のために祈っているのだと答えてくれました。
味方でも敵でも死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父は言いました。
仏壇の前で正座する彼の背中をながめていると、
父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。
父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。
しかし父にまとわりついていた死の存在感は
今も私の記憶に残っています。
それは私が父から引き継いだ数少ない事のひとつであり、
もっとも大切な事のひとつであります。
*
エルサレム文学賞を受賞した村上春樹は
エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で
高い壁とその壁にぶつかって壊れる卵の比喩を用いた
とても興味深いスピーチを行いました。
「常に卵の側に立つ」と題した英語のスピーチの中で
彼は唐突に父親の思い出を語り出しました。
上の文章がその訳文です。
彼は今まで父親の話をしたことが殆どないので
私はとても興味深くこの話を読みました。
彼はなぜ、このスピーチでこの話を必要とし、
この話によって何を伝えたかったのか?
私はそのことをずっと考えていました。
スピーチにある壁と卵の比喩のひとつの解釈として
イスラエルのガザ攻撃を批判しているのはその通りだろう。
でもそれだけではない。
もっと深いところにもっと重要な意味がある。
それは政治的あるいは道徳的立場からの批判ではなく、
文学的な立場からのメッセージなのだろう。
では、その文学的意味とは何か。
*
いくつかの紆余曲折を経て
ひとまず次のような結論に辿り着きました。
西洋の宗教的メッセージに“メメントモリ”というのがあります。
「誰もがいずれは必ず死に至ることを常に忘れずに生きよ」
というような意味なのですが、村上春樹の父親の話も
これに近いのかなと思いました。
メメントモリは自分の死と自分の生の関係性であるのに対し、
村上春樹の話は他者の死と自分の生との関係性。
つまり、自分と特に関係のない他人の死であっても、
それは自分の“生”と決して無関係ではないのだということ。
戦場での兵士の死を引き継いだ父と、その父の死を引き継いだ自分。
そんな「個々人の物語の連鎖に思いを馳せよ」ということなのだろう。
父親が内包していた死の影。
それは村上春樹のデビュー作で提示されたメッセージである
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」
にも繋がって行きます。
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